絶賛されまくり映画!日本アカデミー賞も取った傑作『桐島、部活やめるってよ』。
作品を2回目3回目…と見てもさらに「よくできた映画だなー」と感服するばかり。
『桐島、部活やめるってよ』の何がそんなにすごかったのか?考えてみたくなったので感想をまとめます!
日本映画史に残る傑作のレビュー!いってみましょう!
映画【桐島、部活やめるってよ】感想レビュー《学生時代の痛さがよみがえる》
『桐島~』について書き出すと「少年ジャンプの厚さになるんじゃないか」ってぐらい熱量あるんですが…まずはあらすじにささっと触れて、なんとか短くまとめます!
『桐島、部活やめるってよ』あらすじ《スクールカーストの話》
あらすじ。学校内で超優秀な中心人物「桐島」が、突然いなくなる。理由もわからずに。「桐島」に関わる周囲はうろたえ、波紋が広がってゆく…というお話。
劇中、まざまざと見せられるスクールカースト。上位も下位もみんな等しく、誰もが経験してきた10代のぬるい地獄がくりひろげられる。
『桐島、部活やめるってよ』感想・レビュー
どのキャラの行動も、自分と照らし合わて見ることができる。大人になった僕らも、普遍的な枠組みと同調圧力は相変わらずなわけで。登場人物の全員が、自分の持ってる一部分に見えてしょうがない。
桐島がいなくなった日を、様々な人物の視点から時間をさかのぼって見せるストーリー運び。説明は一切ない。生徒たちのしゃべりのみが淡々と映される。「なるほど、そういう仕組みで進めてく話か」と理解。
学生時代に見たような「学校あるある・いるいる」で引っ張ってゆきながらも、「肝心の桐島がぜんぜん出てこないじゃんか!」と、ストーリーの芯が無いような錯覚におちいる。が、桐島の“まわりの人たち”の会話や仕草によって、それぞれの人物や関係がだんだんわかってゆく。
全員主役だけどメインは神木くんと東出くん
出てくる人がみんな、キャラ立ちすごい。「飲み物の選び方」から「持ってる筆記用具」、エンドロールでヒロキの所属部が( )と空欄になってるところなど、徹底したキャラ描写。
全員主役といっていいぐらいなんだが。一人一人言い出すとキリがないので、メインの二人に絞っておく。
表向きのメインは神木くん演じる前田。イケてない男子代表。映画部部長。
前田は、先生へ主張したり、ロケーション確保の交渉だったり、屋上での「俺たちに謝れ」「こいつら全部食い殺せ」まで、自分の好きな「映画」のためにちょくちょく勇気出した選択をしている。生っちょろくイケてない見た目とは反対に、ブレない情熱があるやつ。
そしてもう一人のメイン。東出くん演じるヒロキ。イケてる男子代表、野球部幽霊部員。
ヒロキはイケメンなうえに、勉強もスポーツもできる、桐島に最も近い男。それゆえ、心底では桐島が消えたことに一番動揺している。何か常にぼんやり考えてて、心ここにあらずな印象。
そんな二人がいる教室は、誰もが属したことのある、空気を読む共同体。
本音を言おうものなら、「なにマジになっちゃってんの、ダセー」とやられるのがわかりきっているようなクラス。ヘタしたら村八分。イジメの標的にもなりかねないので、出すぎないよう、誰もが顔作って、なんとか居場所を確保してやってかなければいけない感じ。
劇中、いろんな人の「はぁ?」が聞けるんだが、本心をぶつけられた時にこの「はぁ?」が出る。それを恐れて、みんな表層的な会話のやりとり。ゆえに言葉の端々や、表情や仕草からそれぞれの心情を読み取っていかなければならない。
原作の小説(朝井リョウさん作)もなんとなーく読んだんだが、そっちは心情吐露が中心。そりゃ映像と文字では手法が違うわけで。映画では「言葉の言い方や細かい所作」を観察してやっと、心情変化がわかるっていう。画による情報量が多い。映像でしかできないやり方してるので、一瞬たりとも見逃せない映画になっている。
ラストの意味をネタバレ解説《価値観の逆転》
ラストのあたり、前田とヒロキがはじめて対等に会話する、っていう美しいシーン。
「だから結局、できるやつは何でもできるし、できないやつは何にもできないってだけの話だろ」って言っていたようなやつが。いやそんなやつだからこそ。前田の映画撮る動機を聞いて「ガーン」となる。
どこかでわかっていた自分の弱さ。人より優れた能力を持っているのに、人に笑われたり、チャレンジして失敗するのをどこかで恐れていた臆病な自分が恥ずかしくなる。カースト上位にいたヒロキの中で、今までの価値観が完全に逆転してしまう。
その姿をカメラ越しにのぞいた前田。何の悪意も無い一言「やっぱカッコいいね」。
ヒロキにとっては「最高にダセー自分」を自覚した瞬間に褒め言葉をかけられ、完ぺきだったイケメンフェイスが、やるせなさに歪む。
ラストが最高にすんばらしい。桐島に電話をかけつつ、野球部が練習するグラウンドを観ているヒロキ。息が定まらぬままの背中でスパッと終わる。
何かを変えるための一歩を踏み出すか踏み出さないか。揺れ動いてる選択の場面で終わる、っていう。ラストでヒロキがかけた電話はつながったのか。つながったとしたら何を言ったのか。野球部には戻ったのか。想像するしかない最高の切りどころじゃないですか!
『桐島、部活やめるってよ』まとめ
始めから終わりまで、前田は「何も持たず自分の位置で戦ってるやつ」で、ヒロキは「はじめから何でも持っていて、終わりにはその価値観が崩壊してゼロから一歩を踏み出そうとするやつ」だった。
打ちのめされて、何か勇気をふるう経験をしたことのある人間は、彼らのみっともない姿を笑えるはずない。
この映画では、たまたまヒロキに打ちのめされるタイミングがやってきたけど…性格の悪さ全開だったあの女子たちにだって、いつかそういう時はやってくる。
登場人物のそれぞれ全員に、どこかで破滅がおとずれ、どこかで救いがあるのでしょう。この映画はその場の善悪で裁かない、やさしい眼差しが向けられている感じがした。
そんなわけで映画『桐島、部活やめるってよ』は、「世の閉塞的な空気に抗って、自分の枠を超えようとする、勇気の話」だったわけで。そんな「ほんの一握りの勇気」を、若者たちが何気ない会話と所作で表現しきった映像、という。日本映画史上まぎれもない傑作でしょう!
大人になっても「ヒエラルキー」や「格差」には巻き込まれてゆくわけで。そこでチャレンジする人。何かを変えようと踏み出す人。大人だって常に選択のわかれ道に立たされている。「何かに屈しそうな時でも空気に飲まれず、勇気ある選択ができますように」と、フィクションから現実への訴求力も持った映画でありました。
やたらとダラダラ説明したり、心情を全部セリフで言わせたり、小便かと思うぐらい涙を流させて、「ここで泣け!」と言わんばかりの下品な映画とはモノがちがう。
観る側をバカにしてるとしか思えない映画には心底ヘキエキしてしまうので、観る側を信用してくれるこうした映画作品は、下品なクソ日本映画をだいーぶ減らしてレベル爆上げしてくれたんじゃないかなーと。「映像で表現する」という意味を示してくれた一本でもあると!
熱が収まんないですが!このくらいでレビュー終わり!