「竜とそばかすの姫って、本当はすごく残酷なストーリーなんじゃない…?」
こうしたギモンをまるっと解説。細田守監督の最新作【竜とそばかすの姫】をネタバレありで考察しました。
あらすじ・良かった点・モヤモヤした点をまとめてレビュー。
これを読めば【竜とそばかすの姫】が完全にわかる。
本当は残酷な【竜とそばかすの姫】の真実《ネタバレ考察・感想レビュー》
初めに結論を言います。【竜とそばかすの姫】は、かなり痛烈な物語です。
理由は、
- すずのお父さんは正常な状態じゃなかった
- “助ける行動”をしたのは、すずとお母さんの2人だけだった
という答えになるからです。
レビューすると共にくわしくお話しします。
あらすじ《陰キャなJKが仮想世界に飛び込んで…》
田舎に暮らす女子高生・すず。
すずは幼い頃に母を亡くしてから、自分を肯定できずにいた。
母から教わった音楽もトラウマになっていて、歌うことができない…
ある日、親友のヒロちゃんに誘われて仮想世界『U』へ飛び込むことになる。
『U』は、世界中の人が参加するインターネット仮想空間。誰もが新しい自分になれる世界だった。
すずは『U』での新しい自分「ベル」になり、歌をしぼり出した。
その歌は瞬く間に話題になり、大人気の歌姫として世界中に知れ渡る。
ベルのコンサートが『U』で開かれる中、突然あらわれた“竜”。
“竜”はコンサートをめちゃめちゃにして、どこかへ去ってしまう。
なぜか“竜”のことが気になるベルは、“竜”の正体を探しはじめるのだった—
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ネタバレ考察・感想レビュー《映像と音楽が最高!ストーリーは…》
良かった点とモヤモヤした点、それぞれ挙げて解説します。
良かった点5つ
- 日本の風景が泣けるぐらいキレイ
- 仮想世界のデジタルな映像美もキレイ
- 音楽が良く、歌声も美しい
- 駅でのワンカットが青春
- 生身の姿で歌うシーンがエモい
日本の風景が泣けるぐらいキレイ
日本の原風景が短い尺で贅沢に出てくるんですが、青と緑がキレイで。風景だけで泣ける。もっと長尺で見たいくらいでした。
沈下橋が出てくるあたり、「高知の四万十川かなぁ」と思いながら見てたんですが。
途中で出てきましたね。「仁淀川」や「須崎」などの河川名や地名。
すずが住んでるのは「浅尾沈下橋」がある集落ですね。ググれば美しい風景が見れます。
こういった日本の日常風景は【サマーウォーズ】と同じく、細田さんの得意とする「普通をアニメに現す」ってところ。
そして細田さんは畳の上にPC持ち込むの好きですねw
仮想世界のデジタルな映像美もキレイ
ヴィヴィッドできらびやか。バラの赤や、光の黄色などが印象的。
デジタル世界ってことで、風景の自然色と対比してる感じでしょうか。
あきらかな美女と野獣オマージュもあり。竜の城はミッシェル・オスロ監督のアニメぽい雰囲気あった。
平面的で切り絵みたいな映像表現。おそらく意識されてるはず。
仮想世界『U』は、映像表現のための“舞台装置”として機能していました。
音楽が良く、歌声も美しい
もうオープニングの曲からヤバイ!冒頭のシーンだけで、「映画館に観にきて良かった!」となりました。
エンドロールを見て知ったのですが、King Gnuの常田さんが作詞作曲している曲なんですね。
あー、確かに彼の作るメロディだなぁと納得。
歌声もすばらしい。歌っているのはシンガーの中村佳穂さん。ヒロイン・すずの声も担当で、声優は初挑戦とのこと。
中村佳穂さんといえば…音楽ファンの間で話題になってた、この動画を見た人も多いんじゃないでしょうか↓
ピアノで弾き語りするシンガーってイメージだったので、今回の曲でイメージぶっ壊された。もちろん良い意味で。
デジタル世界の歌姫の曲といっても、ありきたりなアニメ曲やボーカロイド曲のイメージではないし。
どこかで聴いたようなメロディとは全くの別モノ。挑戦的で呪術的なメロディ。ベルがまるで『U』の巫女に見えるような。
歌詞の「…方へっさぁ」とくりかえし歌うところとか、何かの儀式をやってるような感じがとてもいい。
ベルが歌うシーンは「新世代の歌姫誕生!」といったイメージで、冒頭から食らってしまいました。
あと歌ってないけど、ヒロちゃん役のYOASOBI・幾多りらちゃんがスゴイ。「本職の声優の方ですか?」ってぐらい良かった。
ちなみにメインテーマ曲『U』をピアニストとコラボして歌ってみたんですが、めっちゃムズかった…↓
はい、お耳汚し失礼しました。
駅でのワンカットが青春
ここはもう、青春ズッキュンするところですね。
定点からのワンカットで、劇っぽく見れるのが効いてる。
わざとベタにしてる感じで、ベタを楽しむところ。
見たまんま。ニヤニヤ。何も言うことない。はぁポカリもしくはカルピスウォーター飲みたい。
生身の姿で歌うシーンがエモい
ストーリー中で、一番の山場ですね。
リアルの姿をさらして歌うところ。
素顔をさらす理由はあくまで、“私がベルだよ”と証明して「竜」に信じてもらうため。
出したくて出してるわけではないわけですよ。
世界中の人が観てる前で素顔をさらすということは、『U』でのベルが“死ぬ”ようなもので。
むしろわざわざリアルを出したくないわけです。
ベルを見てる観客はその事情は知らない。
「え、何でアバターじゃなくリアルな姿に?」って感じですよね。
生身の姿を見て、ペギースーみたいに「普通のコ…私と同じだ」と共感する人もいるかもしれないけど、
「素顔出すなんて、キモッ」っとなる人もいるでしょう。
ただ、生身の人間が何かしようとする姿は時に、人の心を大きく動かします。
「何だかわからないけど、心が揺さぶられた」という経験を、僕らはしたことがあるはずです。
素でぶつけてくる人に感動をおぼえる。この生身で歌うシーンは「…あるなぁ」と感じました。
このシーンですずは、お母さんがヨソの子を助けるために“川へ身を投じた意味を理解する”んですよね。
理解というか、「同じ状況を自分も体験する」というエモいシーンなわけですよ。
このシーンのイメージありきでこの映画を作ったんだろうか?って気もするぐらい、エモいシーンで良かったです。
ストーリーでモヤモヤしたところ3つ(重要な追記あり)
続いて、ストーリー・脚本がモヤモヤする点について。
作品を作る人への、最大限のリスペクトを持った上で。イチ観客として、ストーリー見ながらモヤモヤした点についてまとめます。
忍くんの無神経な行動や、学校女子たちの描写をはじめとして…モヤる点は、観た方それぞれにあったんじゃないでしょうか。
以下、大きくモヤるポイント3つ。
- なぜ「竜」が「誰なのか」が気になるの?
- え…女子高生にひとりで行かせるの?
- エンドロール、スッと終わったな…
なぜ「竜」が「誰なのか」が気になるの?(重要な追記アリ)
「竜」が暴れる→「いったいどんなヤツなんだろう?」って流れはわかるけど、
「竜」が暴れる→「いったい誰なの?」って感情の流れはキビシくないですか。
ジャスティンたちが、「治安の維持」として「アンベイル」しようとするのはまだ分かる。
でもアバター(As)をまとったら、リアルと同じく人格が認められるのがバーチャル世界なので。
他の一般人やベルが、わざわざ「竜」のリアルな姿を突き止めたがる?
そんな野暮なことするバーチャルの住人は、ほぼいないでしょうね。
ここは仮想世界のアバターを使ったことある者からすると、モヤるポイントです。
すずの根っこに「お母さんを理解したい」という感情があって、ピンチの“竜”を助けようとするのはわかる。
しかし、なぜ「“竜”が誰なのか知りたい」という感情になるのか。
観てる側は共感しづらいポイントでした。
事前に「お母さんに助けられた子は誰だったんだろう?」みたいな仕込みがあったなら、もう少し共感できたかも…。
(ここから追記)
考え直してみると、ある仮説が浮かびました。
「お父さんは“抜けがら状態”だったんじゃないか?」って仮説です。
すずのお父さんは、“正常”だったんだろうか?
すずと同じか、それ以上にお母さんを失った精神的ダメージを受けていたんじゃないだろうか?
なぜならば。すずとお父さんのシーンを思い出してください。
すずは、欠けたコップを使っていましたよね?
露骨にアップで映すので、何か引っかかるシーンでしたよね。
欠けたコップは「すずの心」を象徴するものだと思っていましたが、考えてみると…
「娘に欠けたコップを使わせてるお父さん」って、“正常”ですか?
「新しいコップを買ってきてあげる」みたいな考えが抜け落ちてる精神状態なのだとしたら?
もしかして「犬の足はお父さんが何かしたのかな…」とも思いましたが、
犬のケガは『イノシシのワナ』によるものらしい。(原作にそう書いてあるとのこと)
でも、犬の足を拭くだけで家に上げちゃう感じとか…なんか違和感があるんですよね。父性の緊張感がない家というか。
お父さんは家の中があまり見えていないんじゃないか?
終始どこか“うつろ”で、霧がかった感じ。
お母さんが亡くなってから“抜けがら”のような状態になっていたのではないかと。
あの欠けたコップはおそらく、家の状態そのものだったのですよ。
で、ベルが“竜”を見たときに「もしかして“お父さん”?」って思ったのではないか?っていう。
もしそうなら、いきなり「あなたは誰?」となっても不思議ではないんですよね。
なぜいきなり「あなたは誰?」だったのか。もう一つの仮説。
表現者だから“竜”のピンチを見抜けたんじゃないでしょうか?
どういうことか説明します。すずは、現実で大きな問題を抱えていたからこそ音楽という“表現”ができて、歌で人気になったわけです。
でも“竜”には、抱えている感情を“表現”する手段がなかったんですよ。なぜならまだ幼いから。
胸に渦まく感情を、歌や、絵や、言葉などの表現に変換するすべがないんです。
だから純粋にぶつけるしかない。制御できていないエネルギーの放出。すなわち、暴れる。
負のエネルギーを表現できていない“竜”を見たベルは、瞬時にわかったんじゃないでしょうか。
「この人の現実がピンチだ!今すぐ助けなきゃマズイ!」
↓
「誰なのかわからないと助けられない!」
↓
「あなたは、誰?」
ということになった。
以上、2つの仮説を言いましたが、僕は両方あるんじゃないかなと思っています。
え…女子高生にひとりで行かせるの?(重要な追記アリ)
ここはおそらく見た人全員が一番モヤモヤした点。「え…東京にひとりで助けに行くの?」っていう。
虐待親がいるところへ、女子高生一人で行かせる?ヘタしたら事件になりかねないですよね。
「大人たちも友達も、冷たすぎん?」っていう。
ここは、お母さんの状況と同じく「飛び込む人」と「ただ見てる人」という構図にしたのでしょうけど…違和感がありすぎるし、ヘタすると他のキャラ全員がキライになるっていう。
すずのお父さんは「あんまり状況わかってなかった」で済むとしても、忍くんは付いてかないとダメでしょ。肝心なとこ見守らないでどーする。
ここだけはどうしてもモヤるポイント。違う方向も考えられたんじゃないかと思ってしまう。
例えば…大人たちがよくわかってないうちに忍くんと二人で飛び出して、東京で手分けして探してたら先にすずが見つけた、みたいな。
すずがお母さんの気持ちをわかったことで、雨のシーンでは、すずが3人家族の「お母さんポジション」になるわけですよね。
虐待してた父親も、妻を失っていたからゆがんでしまったんだ、というのがわかる。
大事なシーンですが、重要ポイントを残しつつも忍くんを差し込むことはできるんじゃないか。
「10代女子を一人で行かせる」というのは違和感ありすぎませんか。
(ここから追記)
でもちょっと待てよ…。今まで何本も映画を作ってきた細田さんが、そんな違和感を放置しますかね?
こんな誰でも「変!」と思うような展開にするわけないんじゃないか?
で、考え直したんです。ミスじゃなく、元からそう意図したのだとしたら。だいぶシビアな話になってきませんか?
要するに「ひとりで行かせる」の本当の意味は、「“助けて”って人がいても、実際に助けようとする人なんていない」って現実をあらわしたんじゃないか。
恵くんが言ったように「助ける!助ける!助ける!って言って、誰も助けないじゃないか!」っていう。
「危ないし…」
「そんな力がない…」
「忙しいから…」
「予定があって…」
「東京遠い…」
なんだかんだ言いわけして、実際は何もやらないじゃんか!っていう。
現代を生きる人々への、めちゃくちゃキビシイ視線。残酷な指摘。
表面的にはみんな優しい。ネットでも良識があるように振る舞う。
でもリアルな社会では「自分の危険をおかしてまで他人を助ける人なんていない」と細田さんは言い切ったんじゃないだろうか?
それはすずの友達や、忍くん、おばちゃん達。すず以外の登場人物を「傍観者」としてバッサリ斬ったということ。
だからすず以外のキャラ描写は、全員薄い。臆病なのがほとんどの人の姿で、勇気を持って飛び込める人はそれほど貴重なんだ、っていうことでしょうか。
この物語において、“動く”ことができたのは、すずとお母さんだけ。そういう残酷な真実が突きつけられたのだとしたら…全く別の見方になってきませんか?
ということはその後「これでフツーにつきあえるな」とか言ってる忍くんとのロマンスはあり得なくて。“竜”である恵くん達との関係性しか続いていかないのではないか?
そして、お父さんは電話で「君が立派に成長してくれてうれしい」とか話してましたよね。いや、娘がボコボコにされるかもしれない時に?
やはりお父さんは、妻を失ってから“抜けがら”になっているとしか思えないのです。
「東京にひとりで行かせる」シーンを考え直すと、とてもシビアな世界が浮かび上がってきたのでした。
エンドロール、スッと終わったな…(追記あり)
最後「歌って!」とせがまれる、すず。そこからエンドロールが流れて…
観てるこっちとしては当然「すずがリアルで歌ってる!」が見たいわけです。
なにせ、歌声がすばらしいので、“音楽とともに大団円”を期待してしまう。
しかし。エンドロールは、映画のシーンを振り返って終わり、みたいな。
いや、ここは観る側の心理として、もろもろ「その後どうなったのか」が見たくなってるわけですが。
「忍くんとの進展は?」とか「子供たちのその後は?」とか「ベルのライブ!」とか…
短いカットでいいからシメの花火をボンボン打ち上げて、評価ポイントかっさらえるところだったのに。「なんだかんだ、この映画…良かった」となる最後のチャンスなのに…
「はい、終わりでーす」みたいな。あ、幕引くだけのエンドロールだなんだ…みたいな。
せっかくここまで積み上げてきたストーリーとキャラ達…エンターテインメントとしてもったいなくないですか。
シリアスな問題を扱ってるし、スッと終わらせる監督の美学もあるのでしょうけれど。
観客としては、こうしたエンターテインメント作品ではシリアスから解放されたいし、その後を見たいんだよなーっていう、観る側の希望がありました。
(ここから追記)
“東京にひとりで助けに行く問題”で書いた通り、“残酷な真実”という解釈が合っているのなら…エンドロールがスッと終わるのも合点がいくんですよね。
- すずのお父さんは“抜けがら状態”だった
- “助ける行動”をしたのは、すずとお母さんの2人だけだった
この仮説により、モヤモヤした点に一本スッと筋が通ったのです。
一見エンターテイメント作品のように見えて…かなりシビアな作品だった、という結論になりました。
他、考察ポイント3つ
他、気になるポイントを掘り下げてみましょう。以下の3つ↓
- 【サマーウォーズ】の侘助が重なる?
- ジャスティンの正体は、虐待してた親?
- なぜ忍くんは、すずが「ベル」とわかった?
【サマーウォーズ】の侘助が重なる?
「なんか【サマーウォーズ】みたい」とは誰もが思ったはず。
仮想世界が出てくるので、それは当然として。
【サマーウォーズ】を思い出させた上で、恵まれない子供たちが出てるわけです。
“竜”の正体だった恵は、どうしても【サマーウォーズ】での侘助の子供時代を思い起こさせるんですよね…
見た目や雰囲気も似てるし、似せたキャラにしたとしか思えない。
愛情を受けられなかった侘助の子供時代。細田さんのアタマにも、どこかに引っかかっていたのでしょうか。
侘助の子供時代に向けた“救い”というか、忘れ物を届けに行ったような…
エンターテインメントとしては、世界を救う【サマーウォーズ】の方がヌケが良くてウケそうですが、
【竜とそばかすの姫】は、「目の前の人を救う物語」だったのは良かったなと。
ジャスティンの正体は、虐待してた親?
ジャスティン=虐待父親なのかな?と思ったかもしれませんが…
これは、そう見れるように作られています。
ただ、ストーリーの中でハッキリと明言されることはない。
つじつまは合うようにできているので、「こいつがジャスティンだ!」と見たくもなりますね。
ですが結論は、「どっちにとらえても良い」です。
自分の正義を振りかざす人間は、ネットにもリアルにもいます。
そのポジションが『U』ではジャスティンで、リアルでは虐待父親。そう重なるように意図されています。
なので「ジャスティンみたい」と感じても、「ジャスティンだ」と感じても、どちらも同じことです。
なぜ忍くんは、すずが「ベル」とわかった?
クジラのアバターが忍くんだったりしないよな?とも考えてみましたが、
忍くんが『U』で出てきたセンは薄いかなと。
やはり、ベルが『U』登場してからすずが明るくなったり変化したから。
忍くんはリアルでの変化を見守っていたから、「ベルだ」ってイチ早く気づいたのでしょう。
しっかし、一緒に東京へ行かないクセしてスカされてもね…って感じで、忍くんへの印象は悪いw
仮想空間『U』について《VR・バーチャルの視点から考察》
【竜とそばかすの姫】での仮想世界『U』は、完全に「舞台装置」ですね。
映像美を見せるためと、ストーリー上の“秘密”を作るための仕掛け。
まぁ、竜が誰かっていう“秘密”は、予想できるような答えではなく…探偵モノでいうなら、「犯人が全く知らないとこから出てきた!」みたいな肩スカシを食らったわけですが。
ストーリーが進むにつれ、「すずとお母さんの話」ってことで納得できたんじゃないでしょうか。
で。仮想世界『U』については、【サマーウォーズ】の『OZ』以上に輪郭がぼんやりしているので。あたかも「そこに人々が生きてる」って感じられるのものではないんですよね。
『U』と現実世界がクロスオーバーするようなシーンもなかったですし。
なので「んんっ?」となる点は多いですが、ツッコミ入れるのも野暮かなと。
“仮想世界”そのものには、焦点が当たっていないので。“舞台装置”ってことで割り切る。そうして観ると、すでにアバターをまとってるVtuber・Vシンガーなんかは楽しいんじゃないかなと。
これからのバーチャルライブは、ベルみたいにクジラに乗って花びらをまき散らしながら歌えるわけですからねー。
もうすでに、そういった凝った演出をやってるバーチャルライブも出てきてます。「アルテマ音楽祭」とか。
Vtuber・Vシンガーさんは【竜とそばかすの姫】を「未来のライブステージ」として見ておくとイメージしやすいかも。
あと、仮想世界『U』を生み出すデバイスとしては…
スマホやPCで見れて、イヤホンすることで視床下部に作用して没入感が生まれるみたい。
アバター「As」は、本人の生体情報から自動生成される。
このボディシェアリング技術は「本人の隠された能力を引き出す」というもので。
なんかマイナスを抱えてる人ほど、特殊な力を持った「As」になれる。って感じですね。
この仮想空間『U』によってすずはちょっと明るくなれましたが…後半は結局、子供たちの居場所を見つけるツールとして使われただけで。
「バーチャルの可能性」というよりは「バーチャルの限界」という展開だったんですよね。
【竜とそばかすの姫】はリアルな問題を扱った作品なので、それはいいのですが…
今のVR技術って、医療分野でもかなりスゴイことになっていて。
精神医療でも、トラウマになったシチュエーションをVRで追体験して克服する研究も進んでるんですよね。
なので、これから仮想世界を扱った作品では「仮想空間だからこそ救われて、仮想空間で完結する」ようなシーンを見てみたいですね。
【竜とそばかすの姫】まとめ
まとめると、こうです。「すずが成長して、お母さんを理解する話」。
【美女と野獣】をモチーフに、【サマーウォーズ】をふまえた上で…
映像美をアップデートし、音楽の力を乗せた作品でした。
インターネット時代に生きる子供たちが、リアルな世界に傷つきながらも、二つの世界を抱き合わせて力強く生きてくストーリー。
前半は仮想世界『U』によって、すずが少しずつ変わってゆく。
中盤で“竜”があらわれてからは、美女と野獣パートでロマンス的な展開。
からの、後半で現実の社会問題へつながってゆき…すずは亡くなったお母さんのように強く成長してゆく。
映像と音楽は文句なしに素晴らしかった!脚本は観る人それぞれにモヤモヤがあったりするでしょう。
一件落着したように思えるこのストーリー。果たして、手放しで喜べるハッピーエンドだったのか?それとも、冷酷な現実を突きつける問題作だったのか?
見知らぬ子が川に取り残された時。あなたは助けに行けますか?
あなたの考察の一助になれれば幸いです。
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